東京高等裁判所 昭和25年(ラ)30号 決定
【主文】
原審申立人並に原審相手方の各抗告はどちらも之を棄却する。
抗告費用は各抗告人の負擔とする。
【理由】
原審申立人第三一號事件の抗告人並に原審相手方第三〇號事件の抗告人の各抗告の理由は末尾添附の抗告申立書の記載のとおりである。
よつて判斷するに、
記録中の戸籍抄本(第八丁)戸籍膽本(第四十一丁)によれば原審申立人は大正七年五月三十一日原審相手方と婚姻し昭和二十二年十二月二十二日協議離婚をしたことが認められるところ、右戸籍抄本、戸籍謄本に原審證人(十二名)の名證言、原審における原審申立人、原審相手方の各本人訊問の結果(各供述中後段の各認定に反する部分は採用しない、)を綜合すれば、原審申立人はAの二女として明治三十二年八月十八日に生れ、原審相手方は×の二男として明治二十四年六月八日に生れ、兩人は某の媒酌の下に大正六年十一月擧式の上事實上婚姻し諏訪市大字豐田に同棲の上一戸を構えたこと、原審申立人の父Aは長野縣諏訪郡湊村に於て製糸業を營み、原審相手方は婚姻後半藏に雇われ蠶の買入女工の募集等の仕事に從事して來たところAは大正十五年十月二十八日死亡し長男Oに於て家督を相續し先代Aを襲名の上製糸業を承繼した爲め原審相手方は引續き同人に雇われて來たこと、Aの製糸業は昭和十五年企業整備によつて、林組に合併となり、原審相手方は、その後は林組に雇われて居たが、昭和十九年頃半藏が同事業から引退すると同時に原審相手方も辭職するに至つたこと、原審申立人は性來男勝りの勝氣の上その實家は原審相手方に比し遙かに富裕であるのに原審相手方の家計は婚姻當時は逼迫し不如意の爲時折原審申立人の實家から經濟上の援助を受ける事少くなく、この爲原審申立人は兎角原審相手方に對し傲慢となり多少我儘の嫌もあり他面原審相手方亦性來偏屈の上短氣で手荒の癖があつたので兩人間円滿調和を缺くことがあつたが、幸に破局に至らずどうやら長年の夫婦關係を持續して來たが、昭和十七年四月原審申立人の叔父Bが死亡した際原審相手方が好まなかつたに拘らず、原審申立人が榮作の生前病氣見舞に行つたり死後葬式に赴いたことに端を發し甚だしく原審相手方の感情を害し、原審申立人が葬式から歸るや原審相手方は原審申立人を下駄で毆打して傷を負わせた爲め爾來原審申立人は實家え歸り兩人遂に別居するに至り、別居の日時が經過するに從い益々反目を高め夫婦間の愛情は冷却するに至り、その間斡旋の勞を執る人もあつたが容易に元の鞘に納まらない内昭和二十二年十二月十九日頃Pの仲介で協議離婚する話が整い、前記のとおり同月二十二日離婚手續が經由せられたこと、その後當事者間に財産分與の協議が整わず原審申立人に原裁判所に昭和二十三年十二月二十七日(本件申立書の受付印によつて明白である)本件申立をしたことが認められる。
然らば前記離婚は假令結局は當事者双方の協議に出でたとは云いながら原審相手方の原審申立人に對する暴行虐待に原因し原審相手方にその責任があるものと認めざるを得ない。然しながら他面原審申立人に於ても長年連れ添う妻として夫の性行は十分熟知したならば成可くその意思に逆らはないように行動すべきは夫婦の共同生活の円滿を期する爲め妻の守るべき當然の處置と考えられるから原審相手方の前記暴行虐待に原審申立人亦相當の誘因を與えたものと認めない理にはゆかない。尚以上の證據によれば若し原審申立人に於て原審相手方との夫婦生活の維持を極力維持するの熱意があつたならば、原審相手方との別居後でも時期を失しない内に原審相手方と復歸し得るの適當の方法と機會とは必ずしもなかつたものとも考えられないから當事者の婚姻を繼續し得なくなつた原因の責任は元よりその大半は原審相手方にはあるが原審申立人にもその一部の責任があつたものと考へるを至當とする。
そして以上のような事情の下に於て協議の上離婚をした本件においては、原審申立人は原審相手方に對して民法付則第十條第一項新法第七百六十八條第一、二項に基いて財産分與の請求をなし得るものと認める。
原審相手方は同人が蠶購入の爲め春、夏、秋三季半ば以上の旅行不在に乘じ、原審申立人に破倫の不貞行爲があつたと主張するが、同事實を認めるに足る何等の證據がなく又原審相手方主張の如く本件當事者間に事實上の協議離婚の合意が昭和十七年四月九日成立した事實は之を認め難きこと以上認定のとおり(昭和二十二年十二月十九日頃事實上の協議離婿の合意が成立した)であるのみならず、民法附則第十條第一項の日本國憲法施行後新法施行前に離婚したとある離婚は元より法律上効力を生じた正式の離婚を指し事實上の協議離婚の合意が成立しに場合を指すものでないことは法文上、明白である。從つて本件に於て當事者間の協議離婚の手續が正式になされた日が昭和二十二年十二月二十二日である以上事實上の協議離婚の合意成立の日時がその前何時であるかに關係なく、正に同條に所謂日本國憲法施行後新法施行前に行われた協議離婚に該ること疑がないから民法第七百六十條の規定が本件に適用がないとの原審相手方の主張は採用に値しない。
次に原審申立人に分與すべき財産の額について考へるに、前記證據によれば原審申立人が原審相手方と婚姻した當時は原審相手方は格別の資産もなく生計不如意であつたが、離婚當時は居村中流程度の生活を營んで居た事實が認められるし、諏訪市長から原裁判所宛の報告書(第百二丁)長野地方法務局諏訪支局長から原裁判所宛の報告書(第百三十丁以下第百三十八丁迄)原審證人の證言を綜合すれば、原審相手方は離婚當時少くとも原審判末尾添附の目録記載の不動産(田畑、宅地、家屋)を所有して居たが、その後自作農創設特別措置法による農地の賣渡により逐次所有農地の增加を來たして居る事實を、豐田農業協同組合から原裁判所宛の回答書(百四丁)によれば原審相手方は昭和二十四年五月六日右組合から金一万二千円を借用して居るが、同年九月十六日現在金二千七百二十二円二十三錢の當座預金を有して居た事實を、諏訪税務署長から原裁判所宛の回答書(第百五丁)によれば原審相手方の昭和二十三年度の確定所得金額が金二万九千円であつた事實を、原審鑑定人守屋泰人の鑑定の結果(第百二十二丁)によれば昭和二十四年十一月九日當時の原審相手方所有の不動産(原審判末尾添附の目録記載の不動産を主とする)の時價が金十八万二千九百二十六円三十踐と評價せられた事實を前記證人の證言、本人の供述を綜合すれは原審相手方は原審申立人と同棲以來主として蠶買、女工募集等の仕事に從事し外出勝であり、在宅の余暇農に從事するに過ぎなかつたところ、原審申立人は勝氣ではあるが勤勉で農業、養蠶に精勵して家計を助け又節約家の爲め次第に家産を增し前段説示の如く家計不如意の時又は金融の必要を生じた時は時折實家の援助融通をも仰ぎ來つた事實を夫々認めることが出來る。
そして居村中流程度の生活を營む農家として前示の如き不動産を所有する以上、他に反對の事情も認められない本件に於ては、原審相手方は中流程度の〓通農家が所有する養蠶器具、農具家財什器を所有して居るものと考えるを相當とする。以上認定の本件協議離婚に至つた原因、動機當事者が夫婦としての同棲生活を續けた大正六年十一月から昭和十七年四月迄の二十數年の長い期間、その間に原審申立人が家庭の爲め盡した内助の功、その間に於ける財産状態の推移を基礎とし登記簿謄本(百五十三丁)(百五十七丁)(百五十九丁)(百六十一丁)家屋台帳謄本(百六十三丁)戸籍謄本(百六十四丁)原審に於ける原審相手方本人訊問の結果を綜合すれば、原審判末尾添附の田一反一畝六歩、畑一畝二十九歩は原審相手方が父Xから大正十一年頃賣買名義の下に贈與を受け、又宅地百十五坪宅地十坪居宅四十七坪一合の内倉庫物置を除く母屋三十二坪六合は原審相手方が大正九年頃生家からの分家する際兄Rから贈與を受けたもので、どちらも他人から相當代金で買受けたものではないことが判るが、同本人の供述並に原審申立人の供述を綜合すれば、之が贈與を受けるに際して生家の借金を弁濟する爲め相當の出損がなされた事實が窺われるし、又原審の證人、本人の供述を綜合すれば協議離婚の際原審相手力は原審申立人に對して慰藉の趣旨で金一万円を贈與し、その頃原審申立人は原審相手方から嫁入の際の衣類、道具その他の所有物件牛車二台分をも引取つた事實が認められるところ、これらの事實を參酌し夫婦生活に於ける妻の内助の活動は夫のそれと異なり、外觀上有形的に現われず内面的、無形的の部分が多いが、この活動は家庭の經濟的基盤形成に重要なることに思を致せば、原裁判所が本件に於て參與員Sの意見を聽き、分與金額を金六万円と决定し、之が支拂方法として三回に分け昭和二十五年二月、四月、六月の各末日限り金二万円宛の分割支拂を命じたのは洵に衡平妥當であると認める。その他記録を精査すると何等原審判を取消すべき缺點は見當らないから原審判を相當とし當事者双方からの本件各抗告はどちらも理由がないものとして棄却すべきものとし主文のとおり决定する。